こういう発言自体が既に鬱陶しくて仕方がないものであることを自覚していて、どうしようもない自分だなと嘲笑してしまわざるを得ない午後五時なのであった。


自分の発言が全て鬱陶しいものでしかないようで、他人に嫌な気分にさせるような発言・行動しかしていないような気が、時々してしまうのだ僕は。そういう時って自分がどうしようもなくいけない存在であるような気がして、存在が許されないような、そういう気がしてしまう。でも、それは本当に、合っていて、確かに僕のような他人に迷惑ばかりかけて鬱陶しがられるような人間は、すぐにでも死ぬべきだろうな、とかそういう自覚はずっともう前からしていて、だから僕ハ死にたくなった時もあるわけで。でも、それがいったいなんだって言うんだろうか。そんな自分の自覚すら、惨めでどうしようもないものでしかないとか、そういうことにも気付いていて。羞恥心だとか、自覚だとか、すればするほど自分がいかに許されない存在だってわかってしまって駄目に、嫌になってしまわざるを得ないのですこの僕ハ。ただでさえこの僕は他人よりも鬱陶しい存在でどうしようもないぐらい迷惑極まりない、昔、僕は自分の一挙手一投足が他人よりも滑稽で人に奇妙に思われているのではないのか、こういう自分の動作は他人とは違ってしまっていて他の人たちに鬱陶しく、迷惑がられているのではないのか、自分は、他人と違っていてうまく本当は人と付き合っていけないのではないのか、そういう人間なのではないのか、僕は、駄目な人間なのではないのか、失敗作ではないのか、そういう存在じゃないかって思ってたりなんたりしていたわけで。学校の教室でとか、ですね、まあうん。

何にせよ、きちんとした、普通の人に、僕はなりたいのだ。人に迷惑な、鬱陶しいこと極まりない発言などしないような、そういうことをきちんとわきまえた、そういう人間に、なっていたいのだ。そういうのを、大人の人、とかって言うのかなだろうか、とか、思うわけで僕ハ。うん。

追記:言えば言うほどどんどん自分のそういったものを露呈してしまうのが嫌だ。でも、結局自分がそういうような人間なのならば、どうしようもなく…どうしようもなく…わからない。どうにかしたいのだけれども。どうにかなりたいのだけれども。他人に申し訳なくて仕方がないのは確かだが、だが、だが、かといって申し訳なさで死ねるほど自分が潔癖ではないわけでもあって。嫌だ。嫌だ。自分が一番嫌いなんだ。自分がこの世で一番鬱陶しい存在だ、だなんてわかっている。嫌だ。シネ。